con amore

バケツいっぱいの絵の具



磯貝龍乎とは、何者なのだろう。
どうしてここまで惹かれるのだろう。
どんな形容詞なら、どんな表し方なら、「磯貝龍乎ってこんな人だよ」と誰かに伝えられるのだろう。



初めて龍乎さんを知ったのは、ヘタミュだった。
何がきっかけというのも曖昧になんとなくで見始めたヘタミュは、私にとって初めて触れた2.5次元の舞台で、オペラやクラシックなミュージカル以外で初めて観た舞台作品。
今思い返せば、それもまだほんの半年前のことだ。
そこで出会ったのが、磯貝龍乎 という役者だった。
磯貝龍乎さん、あの人は一体、何者なのだろう?
最初にふと思って以来、未だずっとそう考えては追いかけている。






ミュージカル『ヘタリア ~The Great World~』

初めて観た時から廣瀬さんの演技の迫力にずっと圧されっぱなしだった私。
龍乎さんのシリアスとおふざけの切り替えも好きで、大航海時代という世界観も好きで、GWは何度も観た。
そして、また観返していた何度目かのある時、イギリスの気迫に呑まれながら観ていた所、突如アメリカに心を持っていかれる。

終わりも近い山場。
「おかえり、ナンバーワンお兄ちゃん…」
右腕を振りかざしたイギリスの左手に縋りつく、アメリカの必死な手。
それまで私はずっとイギリスと一緒にGWの世界を見ていた。
自分の手から離れていくアメリカ、上手くいかない伝わらない自分の感情、俺は、兄は、兄弟は…というもどかしい気持ち。
それを抱きながらイギリスと見てきたはずの世界が、「おかえり、」と膝をついてイギリスの手にしがみつく震えを見て、イギリスを見上げる必死な表情を見て、がらがらと回った。
もしかすると、私はその時、初めてアメリカの姿だけを見たのかもしれない。
あんな、理性や自制がすべて効かなくなっている、感情が勝手に先走って抑えられない感情が、表現なんてまるで存在しないような、アメリカとしてそこにあるむき出しの加工なき感情そのままがある姿。
息が止まった気がした。
ずっとイギリスと一緒に観てきた私の記憶の中の『The Great World』が、走馬灯のように頭の中で流れる。
アメリカはこの時、アメリカはあの時、アメリカはきっと、じゃあ、アメリカは……。
それまでだって考えなかったわけではないし、感じなかったわけではない。
ただ、ここまで鮮明にアメリカの感情を見せられて打たれたのは初めてで、衝撃だった。

あの一瞬だけで私の中にGWの別の姿を見せた。
あの手の震えと、あの表情。
初めてGWを観たとき廣瀬大介というイギリスに衝撃を受けてしばらく放心したのと同じく、数度目のGWで今度は磯貝龍乎というアメリカに心を打たれた。
それまでの印象は “アドリブに強くて笑いに長けた役者” だった。
あの一瞬の表現、あれを生み出す、あの繊細な表現力、龍乎さんは私の想像とは違う役者なのかもしれない。



ミュージカル『ヘタリア FINAL LIVE ~A World in the Universe~』

私は、幕張での「アメリカの独立戦争&倉庫掃除」が心底好きで、本当にそこばかり何度も何度も観ることがある。
LIVEを初めてフルで見た時、素直に「悔しい!!」と思った。
あの熱気をどうして生で、あの会場で観られなかったんだ!と、そんな無念が頭のどこかで地団駄を踏む。
それでも、映像で観れたことを心から嬉しく思う自分がいた。
龍乎さんの些細な表情と繊細な演技がとても好きだ。
あの場にいたらここまでの繊細な感情は感じられなかったかもしれない。
私はものすごく目が悪いから。
繊細な表情と豊かな目に惹かれて惹かれて惹かれて、スマホの画面に顔を乗り出して観ていたから、映像であの表情をアップで観せてもらえたから、あの表現を受け取れた。

過去を思い出す微かな哀愁を纏った大人のアメリカ、独立戦争を歌う若きアメリカの決意の目、倒れていく自軍の彼らを見て浮かぶ動揺とわずかな焦り、我に返ったとき埃に伸ばされる手、切なさと感傷を浮かべてゆっくりと伏せられていく瞳、綺麗な青い瞳。
忘れられない、歌声。
本当に素晴らしかった。
龍乎さんも廣瀬さんも本当に本当に素晴らしかった。
ありがとうとしか言いようがない。
磯貝龍乎がアメリカで廣瀬大介がイギリスで本当に良かった。
こんなに素敵な役者さんに出会えてとても嬉しいし、私は、「ヘタミュのアメリカ」と「ヘタミュのイギリス」が大好きです。



ヘタミュを観たあと、2.5次元や舞台はかなり面白いなと気づいた私は、他にも色々観てみたいと思った。
さあ、何から観ていこう?
そう考えたとき真っ先に思い出したのが、龍乎さんだった。

まずはあの人が他にどんなことをするのか知りたい






舞台『宇宙戦艦ティラミス』


少し2.5の世界を知った今なら分かる。
あれは新参者がいきなり観るものではなかった…笑
あまりに、こう…なんとも突飛な超特急ジェットコースターだった。
ちなみに、なぜにあんな突飛な作品に最初に手を出したかというと、Twitterでおすすめを募集した時、ダントツで多かったから。
「龍乎さん無しでは成り立たない」
「龍乎さんの多彩さが光る」
「龍乎さんの実力が存分に発揮されている」
そんなことを言われては、興味を抑えきれない。

是非見たい! 磯貝龍乎が暴れ回る舞台!!
蓋を開けてみれば想像以上に訳の分からない舞台で、想像以上に 龍乎さん無しでは成り立たないもの だった。
確かに 龍乎さんの実力を多彩に感じられる ドタバタコメディで、俳優・磯貝龍乎の持つキャラクター的な色が見事に光る、龍乎さんにピッタリな作品。
まだ第一弾しか観れていないけれど、私はあそこが好き。
艦長としげる子さんがやり取りするシーン。
龍乎さん一人にあのシーンのすべてを預けた演出家の方と握手をしたい。
「ほんっとうにありがとうございます!!!」
そう言って握手した手をぶんぶんと振り回してしまいそう。
龍乎さんの演技の器用さと細かな上手さ、そして笑いの勘。
どれもが存分に詰め込まれたワンシーンで、演出も龍乎さんもまじめにふざけていて愉快だった。

舞台上にいるのは龍乎さんただひとりで、他には何の音も気配も背景もないというのに、確かに私には艦長としげる子さんのふたりが見えていて、詰め寄りながら詰め寄られ、腕を掴まれながら腕を掴み、コメディタッチな会話を至ってまじめな顔でする二人が見えていて、訳が分からないのに全てを理解できてしまう。
磯貝龍乎が如何に有能な役者であるのかをひしひしと感じられるシーンであるのに、それよりもクスクスと笑みがこぼれる可笑しさだけを残していく。
能ある鷹は爪を隠すなんて言うけれど、その鋭い爪を面白く着飾ってまるで爪でもなくただ面白い模様をした羽の一枚かのように魅せてくる表現力。
ああ、この人、とんでもない人だ。




ミュージカル『DREAM!ing』

言ってしまうと、これはちょっとのミーハー心で見始めた。
だって、白衣とメガネの先生って紹介されたから……
シュッとしたスマートなTheイケメンというより、お顔と笑顔はトイプードルのようなかわいらしさがあるりゅうこさん。
りす顔 と個人的には名づけているかわいらしさで、私がめちゃくちゃ好きなタイプの笑顔。
そんなりゅうこさんのメガネ姿は……キャアー!と騒ぐタイプのオタクではない私だけど、やっぱりちょっと心がくすぐられた。
Dミュでのりゅうこさんの出番は多くない。
先生役というサポーターだから、もちろんそれは当たり前のことで、でもやっぱり、その僅かな出演シーンは強く印象に残っている。
第1弾にも第2弾にも、りゅうこさんがソロで歌い上げるシーンがあり、りゅうこさんがアドリブを発揮するシーンがあり、そのちょっとした所を観る度に「あ〜磯貝龍乎だなぁ」と私は安心した。

中でもDミュはりゅうこさんの歌をよく感じられる作品だと思った。
Dミュの他のキャラにはある “ペア” という相方がりゅうこさん演じる桐谷先生にはいないため、桐谷先生はソロで歌うのだ。
割と長めの一人ラップもあるし、めちゃくちゃ歌い上げるパートもある。
どれも短いソロだけれど、本当にソロで、一人ですべてを歌い上げる桐谷先生。
気だるげでやる気のない先生キャラだけれど、歌う時だけはハチャメチャにかっこいい。なんせ歌が上手い…!!
(ちなみに原作ゲームの桐谷先生は歌なんて歌わないと思うので、おそらくこれはミュージカルの磯貝龍乎演じる桐谷先生だけの特別なもの)
やはり、真ん中に立ってソロを歌い始めると 磯貝龍乎の持つ特別な力 、場をかっさらっていく引力 が発揮される気がする。
それまでは大きく見えていた舞台も、この人が力を発揮しだした途端にさっきより小さく見えてくるような圧倒的な引力と存在感。
こちらは目が離せない。
でも、ソロではない時はどことなく薄い存在感にどことなくテキトーで生徒に無関心な雰囲気、オーラなんてものも無く、正直言って桐谷先生はどこもカッコよくはない 笑
ダサいわけでもかっこ悪いわけでもないのだけれど、かっこいいかと言われると首を傾げるしかなく、やはりあくまで生徒役を立ててサポートする脇役。
この存在感とカッコ良さの落差もまた、りゅうこさんの実力によるものなのかもしれない。
ほんと、桐谷先生が歌以外でかっこいいのは端正なお顔に似合う眼鏡くらいだ。

少し話がズレるけれど、私は桐谷先生のお顔がすごく好き。
その能力の高さとポテンシャルの高さから、りゅうこさんと言うとついアドリブ力やコミカルな所が真っ先に思い浮かぶけれど、りゅうこさんは端正で少し童顔で、綺麗なお顔をしていると思う。
桐谷先生の姿は、りゅうこさんの綺麗なお顔が金髪と眼鏡とシンプルな白衣で引き立って尚のこと綺麗で、私はとっても好き。




さてさて、最後に。

狂音文奏楽『文豪メランコリー ver. 江戸川乱歩』


私は以前からずっとずっと、いつか観れる機会がくることを待ち望んでいて、運がいいことに期間限定でYouTubeで配信をしてくれたから観ることができた。

一言で言えば、…………なんてできない。
私はよく「一言で言えばこうだった」という始まりを使うものだから、ついそうやって始めようと書き出したはいい。
が、どれだけ頭の中を探し漁っても出てこない。
あれは文豪たちが暴れる作品だというのに?
駄文とはいえ、私はこれでも50本はくだらないそこそこの長さの文章を書いてきて、何かと言葉による表現を模索してきたのに?
似合う表現が自分の中にない時、私は辞書を開いてスマホを開いて探し続ける。
そうすると、何かしらは良さげなものが見つかるものだ。
ところがそれが無い。
何の一言ならいい?
せめて間に合う表現くらいはないものかと考えたけれど、間に合う表現を文メラにつけたところで、それはちっとも足りない不充分な表現にしかならない。
あの七様の生き様は彼らの名前でしかあらわすことのできない表現なのだ、きっと。

役者さんそれぞれの表現の爆発力。
その爆発が重なり合った時の膨大な引力。
それらを引き立たせる二つの机と六脚の椅子。
クズという名の魅惑を、自分らしくありたい人間性を、ありのままの己として魅せてくる文豪たち。
鮮明に思い出せる文豪たちの歌声と踊りとセリフ、歌詞と一緒に響くメロディ。
珍しく、歌詞にどんな作品名や引用文があったかもわかるくらい明瞭に覚えている。
すごい。すごい以外に何が言えよう。
酒に酔ったような夢心地と興奮が心に染みついて残っていて、ふとした瞬間に彼らの仕草や表情が蘇っては心が踊り、途端に見える世界が楽しくなってくる。
豚肉を手に取って賞味期限を見ながら気づけば「愛を頂戴」と口ずさんでるし、豚肉持ちながら歌うものじゃないなと止めたら、次は豚野郎を思い出して愉快なケツ拍子を思い出して笑ってしまったり、その隣で呆れた顔をしていた与謝野さんの綺麗な歌声を思い出して惚れ惚れしたり。
バスを待っていれば中也が帽子のつばを掴む仕草を思い出して自分のキャップに手が伸び、シャワーを浴びながら蜘蛛の糸みたいだ…掴めないな…と考えているし、カーテンを閉める時に都会は星が見えなくて残念だなぁと思えば乱歩が「この現世は夢で夜の夢こそ真」を歌う後ろでペンライトを揺らす六人を思い出すし、布団に入って目を閉じたら夏目先生が突然足を思っきり開いて寂しそうな諦めの笑みで「お母様」と言い出してしまうし。
こんな、時と共に流れ薄れるどころか日に日に鮮明になる夢があるなんて。


磯貝龍乎という人の考えていることを知りたかった。
そうして手を伸ばした文メラ。
りゅうこさんの姿を見ることはなかったのに、私は確かにあの世界観の奥に磯貝龍乎という人を感じた気がした。
大胆にアクティブに時に身勝手すぎるほど自由だった文豪たちだけれど、その裏には見えるものを受け取ることへの繊細さや足をつけている世への揺らぎ、足にまとわりつく鎖への懇願、そして、貫き通される自分の芯となるもの── それが疑心であろうと信心であろうと ──へのまっすぐな心が確かに在り、もがきながらも生きた。懸命に懸命に。
そんな姿。
私は表現を通した磯貝龍乎という人しか知らないものの、それでもこの人の頭の中にはこういう生き様を写した世界観を創り出す感性があるのだと、それが新鮮であり納得であり、何よりも魅力的だと感じた。
りゅうこさんも、彼らみたいに、あんな風に、懸命に生きている気がする。
表現すること、自分らしくあること、好かれること、推されることに苦悩を抱くこともあるんだろうなと思う。
それでも表現することをやめず、新たな磯貝龍乎ワールドを創り出していき、「みんな一回憧れるけど「無理だ、自分にはなれない」と気づく」とまで言われることのある、磯貝龍乎という表現をつくりだす人。
文メラは、そんな磯貝龍乎という表現者を更に深く感じることのできた作品だった。


バケツいっぱいの絵の具をぶちまけたような色鮮やかな憂鬱。
「俺らはこう生きた」と誰かに合わせる気などなく心のままに叫ぶ文豪たち。
「あなたはどう生きる?」と散らばる色彩の中で笑う文豪たち。
狂気を魅惑的なありのままとするカッコ良さ。
歌われる憂鬱に隠れた懸命な生き様の美しさ。
人って、なんて不格好でカッコいいのだろう。
人間嫌いな臆病者ゆえに心を人に明け渡さず生きてきた私の中の私が、懸命に生きろ 自分を生きろ と胸をガシッと掴まれている。
好きになった表現者が創造した世界から感じた力強い生命力に。
この力強さは、自分の芯を固めるものになる気がした。








すごく好きなコラム「吉谷晃太郎のマチソワタイム」で、演出家の吉谷晃太郎さんが龍乎さんを紹介する記事を書かれている。
その最後の文がとても印象的だった。

かつて師匠に言われた言葉をそっくり伝えよう。僕は師匠に背いた形になってしまっているが、磯貝くんにはぜひ実現してもらいたいと思う。

「君は俳優をやり続けてくださいね」

引用: 磯貝龍乎、ギャップを生み出す“表現”への思い【演出家・吉谷光太郎 連載コラム】 より


私はあまり演出家という仕事を知らない。
多くの観客もきっとそうであるように、単純に、目の前に見える俳優たちの方がわかりやすく好みや魅力を感じられるからだと思う。
最初にこのコラムを読んだ時、私も同じように思う、と思っていた。
龍乎さんにはずっと舞台に立っていてほしい。
ずっと見えるところで表現を魅せてほしい。
今考えると、それは吉谷さんの言う言葉とは少し意味合いが違ったかもしれない。
文メラを見て理解した。
私は演出というものを知らなかった。
演出もここまで表現であるのか。
ここまで人というものが表されるのか。
磯貝龍乎という人は、こんなにも面白いプロデューサーなのか。

演出家/脚本家としての磯貝龍乎を少し知った今でも、やっぱり思う。
俳優をやり続けてほしい。
俳優・磯貝龍乎 が好きだ。すごくすごくすごく好きだ。
だけれど、もし、俳優でなくなったとしても、演出家として生きてくれるのなら、私はまだまだたくさん 表現者・磯貝龍乎 を知ることができる。
演出家をやり続けてほしい。
磯貝龍乎ワールドに魅了されたい、とんでもない引力で呑み込まれていくあの世界観をまた生み出してほしい。
演出家・磯貝龍乎 もとても好きだ。
いや、違うかな。

ずっと、表現者でいてほしい。


どんな人生を生き、どんな世界を見ているのか、それをどう私に魅せるのか。
ずっとずっと、できれば、本当にずっと、表現者でいてほしい。
わがままだ、わがままだけれど、願ってやまない。



先日、龍乎さんがこんなツイートをされた。



素晴らしかったと噂の『文豪メランコリー:Re』
私は行けなかったけれど、観劇された方のカテコの動画や興奮した様子だけでも相当な盛り上がりを感じたし、高まる期待にそわそわしながら配信を待っている。
(あると信じている、あってくれ…)

けれど、私からすれば、「こちらこそ」だ。

龍乎さんに出会って人生に新たな色がぶちまけられました。バケツいっぱいの絵の具に彩なされた夢が今も続いているような感じがしています。こんな表現を見たのは初めてで、見る度にいつもぽかんと笑っています。すごく楽しくてすごく嬉しくて、本当に、出会えて良かったなと思います。

2024/6/27のツイート


龍乎さん、出会えて良かった。
あなたのような人に出会えて良かった。
すごく嬉しい。
今この世界には頭が痛くなるほどたくさんの表現者がいて、中には逃してしまう輝きも山ほどあるであろう中で、あなたを見逃さずにいれたことが、本当に嬉しい。
私の人生の中にあなたの表現との出会いがこうして何度も刻まれ、あなたという表現者が私という表現者の道の先に一つの憧れとしていることが、本当に嬉しい。
もちろん私は龍乎さんのようにはなれないと分かっている。
磯貝龍乎は磯貝龍乎でしかない。
だからこそ、私だって、私という表現で生きたい。
誰の人生でもなく、私の人生で。
不思議だな、やっぱり憧れてしまう。
あの絶大な引力に。

いつまでも期待していたい。期待していよう。
またその世界を楽しめる日が来るのを心待ちにしている。
表現者・磯貝龍乎が彩る世界を。




人生とは何。他者とは何。愛とは何。
私もまだ確かな答えを握ってはいないし、昔から今まで、もしかすると死ぬまで霧の中なのかもしれないと思う。
それでも、その霧の中からでも、龍乎さんに贈りたい。

I still love you.

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